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わたしは思ったことを口にしない。黙っていた方がいいということを知ったから。でも、ここでこっそり言葉にしちゃう。

迷走人生を振り返る①

愛されたい理由

私はモテたかった。男性にも女性にも。

なぜそんなにモテたかったのか?今回はそこを掘り下げてみようと思う。

 

「モテたい」

口にこそ出さないが、多くの人が持っているありふれた感情。

私の迷走人生は、この「モテたい」から始まったような気がする。

 

モテたいの進化

「モテたい」この定義は人によって大きく変わってくる。

例えば不特定多数からなのか?一人の人に熱烈になのか、どういう対象で見られたいのか・・・

私の「モテたい」は年齢によって変わっていった。

中学生時代は、可愛い友達のように憧れの先輩たちから構ってもらえるようになりたかった。

高校生時代は後輩から憧れられる先輩になりたかった。

20代前半は男女問わず人から尊重されたかった。

そして20代後半・・・ここからは「結婚」狙い撃ち。

このように私の「モテたい」はぼんやりしたものから超現実的なおぞましい「モテたい」に進化を遂げたのである。

 

なぜ結婚したかったのか

小さなころから「お姫様になりたい」とドリーマーなところがある子で、結婚もその延長線上だった。単純に「憧れているから」

ただ、20代後半になると、結婚したいの目的が大きく変わってきた。

ストレートに言うと「自分の価値をあげたい」という理由だったと思う。

 

見失った自分の価値観

私は19歳のころからフットサルチームに入り、どっぷり運営側として7年間代表をやっていた。超超超厳しいチームの会長兼監督からしごかれた7年間。

もともとあったいらぬプライドは打ち砕かれ、フラットな視点を持つように徹底的に教育された。その点感謝はしているが、この経験は同時に私に大きな影を落としたように思う。

 

暗黒のフットサル時代

私はこの時代を「宗教にハマっていた」と思うことでなんとか折り合いをつけている。

7年間、会長を信じて盲目にフットサルチーム運営にのめり込んでいた。

メンバーの誕生日は毎回いろんなバリエーションでお祝いをしたり、寝ずにメンバーを集めたり、とにかくチームに尽くしてきたと思う。

時には人を退会処分にしたり、キツく注意したりもした。すべてはチームのため。

私の誕生日は祝ってもらえなかった。「あすかはいいよね。そうやってキツイこともバンバン言えるんだから」なんて言われたりもした。

私もみんなみたいに祝われることを夢見ていたし、人に嫌われる恐怖は人並みに持ち合わせていたのに。

たびたび辛い気持ちにはなったけど、きっと私のやり方が悪いからこうなるんだなって納得させつつ チームのためと信じて邁進した。

その結果、私以外の全員が突然辞めた。理由は、メンバーと会長が個人的に揉めたから。 

会長が金銭の貸し借りを申し出たとか、本当に個人的なこと。私だけ何も知らなかった。メンバーからは「どうせ会長の味方」と思われていたし、会長も私に隠していた。7年間、自分なりに頑張っていた結果、手元には何も残らなかった。

でも、辞めたメンバー同士はいまだに交流があるみたい。その酒の肴に、私が仲いい子にだけ打ち明けていた片想いの気持ちとか全部バラされている。

出会う場を提供したのも仲が深まるイベントを企画したのも、フットサルができる環境を提供したのも私なのにな。私はみんなの飲みの場の会話のスパイスでしかなかった。

 

人のせいにすること

私は人のせいにすることがとにかく嫌いだ。人からアドバイスをもらったり、おかれた環境だったり、確かに外的要因から判断を変えることはある。それでも「自分で決めた」と責任を持ちたい。何かを選択するときに、私は自分の意思を持って行動したい。

だから、どんなに理不尽と思うことがあろうと、自分の行動に悪いところを見つけて改善するという発想だった。ただ、フットサルチームの件については、まだそういう風に消化できていない。もう全員が辞めてから4年くらい経つのに。

 

嫌い。憎い。見返したい。

私は自分に原因を求めるから、人を嫌いになることはほとんどない。苦手だな~折り合い悪いな~くらいは思っても、気にならない。でも、フットサルチームのみんなは嫌いだ。まだ過去の呪縛に取りつかれている。きっと私が幸せになれたら、みんなのことなんてちっとも気にならなくなるんだろうな。今の私は暇だからみんなのことを思い出して憎んだりするんだ。だったら幸せになろう。雑音が耳に入らないほどに。そう思った。

 

誰の幸せ?

幸せになろう。そう決めた私は短絡的に結婚しようと思った。

ハンサムで、優しくて、お金持ちで、素敵な人から愛されて結婚すれば私はきっと誰から見ても幸せに見えるだろう。

過去に取りつかれた私の幸せは「他者から見た幸せ」だった。 

ここで私は「自分にとっての幸せ」という自分の価値観を失ってしまった。

それに気付かないまま「幸せに見える相手探し」を始めた。

 

曇ったメガネ 

「本当の私を見てほしい!!」前回のブログで書いた私の心の叫び。

適齢期バブルのおかげでいい感じのひとからアプローチもあったけど、結局いつもこの感情が邪魔して付き合う決心ができなかった。

相手は本当に私のことを見ていなかったのか?なんてそんなのは実のところわからない。私自身が相手を「幸せに見えるかどうか」で判断してきたから、自分もそうやって見られてるって思い込んでいただけかもしれない。

私のメガネが曇っているから、相手のメガネも曇っているに違いないと決めつけた。

感情的な不安というのは、たいてい自分の作り出した不安に過ぎない。

適齢期バブルだって勝手に決めつけたことで、本当に好きになってもらえただけなのかもしれないのに。

 

人生立てなおし中

こうやってグズグズと悩んでドツボにハマっていた私も、適齢期バブルでの疑問を経てようやく自分の深層心理と向き合って、自分なりの幸せを見つけたいと思うようになった。「幸せに見えるために世間的に素敵な人と結婚せねばならない」という強迫観念がようやく消えてくれた。

でもそれは自分のおかげではなく、私を昔から知っている人が、私のことを熱烈に大事にしてくれていることに気付いたからだ。取り繕わなくても私を大事に思ってくれる人がいる。あれ・・・?これって・・・幸せってやつ?!?!と気づけた瞬間肩の力が抜けた。結局恋愛に助けられてるちゃっかりものである。

まだ完全に呪縛からは解放されていない。風の噂でみんなの話が耳に入ると全力でふさぎたくなる。(こういういらない情報流したがるつまんない人って結構いるよね)

でも、やっと前向きに、言葉にして気持ちを消化していこうと思えたから、地道にいきたいな。

というわけで結局長編大作になった振り返り第一弾でした。